心を置いてゆくところ。

誰にも話せないけれど誰かに届いてほしい独り言です。

存在の肯定

最近仕事がうまく捌けなくて、

自己肯定感が爆下がりしていたり、

「周りの人たちにとって自分は存在価値がないのではないか」と不安感に襲われたりしていた。

 

でも思うに、

仕事が出来る人はストレートに仕事のアウトプットで組織に貢献しているけど、逆に仕事が出来ない所謂ポンコツに見えるような人でも、「あの子の方が大変そうだ」「あの人に比べたら自分はずっとましだ」「あの人が苦労してるところを助けてあげた」という、ある意味で周囲に安心感や有能感を感じさせていたり、「人を助ける、フォローする」という、人間が「自分の存在価値を感じる」ための絶好の機会を提供している、という点では存在価値は十分にあるのだと思う。

 

だから、どっちだって良いのだ。

出来ても、出来なくても、向いてても向いてなくても、人が、そこに存在する価値はあるんだと思う。人は、そこにいるだけで、きっと本質的には、誰かの役に立っている。

 

ただ、もしそれであまりに周囲から冷たくされたり評価されなくてしんどい気持ちになるのなら、それはまた別の問題で、「自分にとってこの場所は、このまま存在し続ける価値があるのかどうか」という基準で、進退の判断をすれば良いのだと思う。

 

少なくとも組織からはっきりと

あなたの存在はいりません、いなくなってください、と告げられるまでは、

 

「周りにとって自分は」ではなく

「自分にとってこの場所は」という目線で、これからのこと、居場所のことを考えていれば良いのだと思った。

 

少なくとも、仕事がうまくは行ってなくても、周りから「大変そうだからこうしようか?」と色々と提案してもらっているうちは、あなたはここに居ていいですよ、大変な思いをしなくてもここに居られるように変えていきましょう、と思ってもらえてるのだから(少なくとも表向きは)、まだまだ、存在価値を疑う必要なんてない。

 

成功したら「なんて賢くて有能なんだろう…こんなに可愛いのに仕事まで出来るなんて(笑)」と惚れ惚れしながら、失敗したら「やってしまったな…でもこれはまた身を呈して、周りの人たちにフォローさせてあげる機会、有能感を与える機会を提供してしまったな…最高か(笑)」と胸の内で微笑んでいればよいし、「今日も昨日も色んな意味で役に立っている自分」を誇って、堂々と、にこにこと、飄々と、存在し続ければ良いんだと思う。

 

そんなかんじで、

明日も行ってきます。